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2006/05/10

ハイブリッドな短詩型・・・攝津幸彦について

以下、今度「鬼」句会の月報に載せるために攝津幸彦について書いた文なのだけど、そっちは基本的に会員にくばるものなので、ここでものせちゃいます。
   
 攝津幸彦(1947~1996)は兵庫県生まれ。今年は没後十年となる。関学在学中に坪内稔典や沢好摩らと「日時計」を創刊。昭和五五年には同人誌「豈」創刊。戦後生まれの俳人の中ではたしかに最も面白い存在の一人だろう。いくつかの文章の中で、「前衛俳人の旗手」とか「戦後生まれの旗手」とか評価されているの見た。
 私は今、縁あって「豈」に所属しているが、別に摂津を依怙贔屓しようというのではない。私の興味は、彼がこれから先の数十年、団塊の世代と共に消えゆく作家なのかどうか、ということにある。なぜなら、摂津のもった方向性こそ、俳句の飛翔を支える翼の片方だと思っているからだ。
 実際問題、高い評価がされている一方、これから先の攝津幸彦の評価は、何ら保証されたものではない。それは戦後生まれの俳人について扱った本や雑誌を見たときに、絶対に落とせない人として取り上げられているというわけではないことに顕著だが、早世したことや作品のもつ多様さのなかでも人口に膾炙した句に同時代性が際だって見える分、時間がたてば忘れ去られる可能性があることは彼にとって有利には働かないかもしれない。
 以下、任意に選んだ句を載せる。
  
  ひとみ元消化器なりし冬青空 
  南浦和のダリアを仮のあはれとす
  幾千代も散るは美し明日は三越
  南国に死して御恩のみなみかぜ       『鳥子』(第二句集 昭和51)

  夏草に敗れし妻は人の蛇
  三島忌の帽子の中のうどんかな
  階段を濡らして昼が来てゐたり
  生き急ぐ馬のどのゆめも馬
  塩の手で触る納戸の日章旗         『鳥屋』(第四句集 昭和61)

  葉の多き女人なれども仕方なし
  野を帰る父の一人は化粧して
  野薊を潰して頭蓋をらくにせん
  のんのんと風呂敷が行く万葉へ
  雲呑は桜の空から来るのであろう
  天心に鶴折る時の響きあり          『鸚母集』(第五句集 昭和61)

  国家よりワタクシ大事さくらんぼ
  詩編あり東京巣鴨の食堂に
  何となく生きてゐたいの更衣
  前掛けの母の万歳花かつを
  路地裏を夜汽車と思ふ金魚かな
  黒船の黒の淋しさ靴にあり          『陸々集』(第六句集 平成4)
  
  それとなく御飯出てくる秋彼岸 
  荒星や毛布にくるむサキソフォン
  厳父たれ蚊取り線香滅ぶとも
  先年とひと春かけて鳥墜ちぬ
  山桜見事な脇のさびしさよ          『鹿々集』(第七句集 平成8)    

「幾千代も散るは美し明日は三越」「南国に死して御恩のみなみかぜ」「塩の手で触る納戸の日章旗」「国家よりワタクシ大事さくらんぼ」「前掛けの母の万歳花かつを」「黒船の黒の淋しさ靴にあり」、平句的な遊び心や平易さ、軽快さを言葉の上でしつらえつつ、いわゆる団塊の世代らしい、知的だが斜に構えた感じのする、韜晦的な戦争批判や文明批評がにじみでる。同じ前衛の範疇でも、金子兜太の「原爆許すまじ蟹かつかつと瓦礫あゆむ」との世代差は明瞭である。
 「ひとみ元消化器なりし冬青空」「南浦和のダリアを仮のあはれとす」「三島忌の帽子の中のうどんかな」「雲呑は桜の空から来るのであろう」「路地裏を夜汽車と思ふ金魚かな」一心に写生を心がける人から見れば、一見支離滅裂に見えるかもしれないが、そう言われれば確かにそうだ、と思えてくる意表をつく対象把握、言葉の用法、とりあわせが摂津の真骨頂である。それらによって解釈は一義的ではなくなり、主体をとりまくドラマが展開する。試しに、帽子の中にうどんがある状況を想像してみればいい。私には楽しい句だ。  
 読み手によって広くも狭くもなり、面白くもつまらなくもなる摂津の句は、多義多様性に俳句の未来を懸ける。それは読み手を趣味的位置にさせない。摂津は自分で「高邁で濃厚なチャカシ、つまり静かな談林といったところを狙っている」(「太陽」94年12月)と言ったことがあるが、私風に解せば、ハイブリッドな短詩型の実践というところであろうか。

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コメント

 「ラヂカル」田島としては、そうあるべき反応だ、と思う。でも句だけ見てるとそういう田島を意外って思う人もいるかもね。実のところ、一般的傾向も「摂津幸彦」に対する反応はそんな感じじゃないだろうか。人はきっと魅力的。俳句は消えゆく運命かも。ってな感じ。あと、ほとんど現代川柳とかわんないじゃん、とか。田島の「相対性俳句論」は田中裕明さんの句なんかのほうが、考える方向性はよほど近いんでないかな。前も話したときに言ったが考える方向性は間違っちゃいない。ちなみに、引用した句って各句集のあとがきにあった自選(たぶん)句から選んだから、摂津の自信作または愛着のあったものだと思う。あと、文脈の言わんとするところは察しが付くが、「俳句的には不幸な時代」ってのはその反対を語る必要があるね。

投稿: Caretaker | 2006/05/11 03:49

こんなこと書くと、嫌われちゃうかも知れませんが、正直なところ摂津幸彦の句にはあまりシンパシーを感じないんです。

橋本さんが抽出した句を見た限りでも、平成4年までの句は平凡なものが多い気がします。(それとも当時はインパクトがあったのでしょうか・・・)

「路地裏を夜汽車と思ふ金魚かな」は例外として。(これはいい!)

平成8年の句は、少しコクが出てきているように感じます。

摂津幸彦の人となりをよく知らないのでなんともいえませんが、当時の時代背景とか考えると、仕方なかったのかな、と思うところもややあります。

それでも摂津幸彦を支持する人が多いのは、この人の人柄にあったんじゃないか、と密かに考えています。(きっと魅力的だったに違いない!)

摂津自身の「高邁で濃厚なチャカシ、つまり静かな談林といったところを狙っている」という分析は、なるほどと思います。狙い通りの作風だったのではないでしょうか。その上で、俳句的には不幸な時代に生きた作家だったような気がしてなりません。

投稿: たじま | 2006/05/10 18:17

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三島忌の帽子の中のうどんかな 攝津幸彦 『鳥屋』(昭和六十一年刊) 帽子の中にあ [続きを読む]

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