これからの俳句の批評のために
いま故在って「花鳥諷詠」を追っかけているのだけれど、いろんな人の文を読んで、いまさらながら、やっぱりなあ、と思ったのは、批評における用語の意味の枠が人それぞれでばらばらなんだ、ということ。例えば、「客観写生」なんていうときの「客観」も「写生」も、どうやら言いたい意味が一様ではない。「花鳥」も然り。それぞれが改めて概念規定をしてから言葉を使うような具合。なんでそんなことになっているかと言えば、やっぱり虚子あたりから。子規は、自分の用語がどんな意味かをしっかり定めて表明して使うのだが、虚子は言いっぱなし。抽象的な言い回しを多用し、用語の概念規定はやらない。したがって言われた方は自分なりに解釈するしかない。だから意味が一定しない。それをほったらかしておきながら、誰かが起こしたアクションに対してはリアクションし、批判されれば相手をいなしてしまう。虚子はすべからくそのやり方を通す。つまり、イニシアティブを手放さない。外交における国連常任理事国と日本。あるいは、サッカーにおけるブラジルと日本のようなもの。先手は絶対に有利な相手に対しては必勝とはならない。これはフェアではない。いまだに多くの俳人は、虚子のまねをしてわかったような抽象言語をならべている。柄谷風に言えばジャーゴンの乱発だ。「秘すれば華」が良いんだろう。これが俳句にとっていかに負の遺産となっているかに気がつかないのだろうか。
ネット上での冒険的な俳句批評を読んでいると、山本健吉以来途絶えていた、俳句界を包含しうる俳句批評が始まる機運は在ると思う。ならば、近代に数多く生産された用語の分析と意味の共通見解の構築からはじめねばなるまい。
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» 言葉の定義について [たじま屋のぶろぐ]
橋本さんのところのブログのエントリー。
「ネット上での冒険的な俳句批評」って、「相対性俳句論(断片)」のことかな・・・とも思いつつ、確かに僕の書く一連の文章では、言葉の定義が曖昧なところがあるんで、納得。
それにしても、虚子の理論武装というか戦術というか、きっと、橋本さんの言うとおりなのでしょう。つかみ所がないというか。
「解らないことを言う凄い人」という印象が、虚子を俳壇全体の「師」として位置づけたということですね。なるほど、なるほど。さすが、虚子。
個人的には、日頃、俳句を「俳句の言葉... [続きを読む]
受信: 2006/07/28 00:52
» 虚子の魔法 [俳句的日常 come rain or come shine]
高濱虚子のイメージをひとことで言うと、「喰えないやつ」。
最近の2つの記事が(意図やアプローチはまったく異なるが)呼応していて興味深い(そして、いずれの記事も含蓄)。
ひとつは橋本直さんのブログのこの記事。
http://haiku-souken.txt-nifty.com/01/2006/07/post_5764.html
(…)虚子は言いっぱなし。抽象的な言い回しを多用し、用語の概念規定はやらない。したがって言われた方は自分なりに解釈するしかない。
もうひとつは信治さんのブログのこ... [続きを読む]
受信: 2006/07/29 00:36

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